大阪高等裁判所 昭和36年(ツ)33号 判決 1963年12月05日
上告人 池田亮三
右訴訟代理人弁護士 谷口義弘
被上告人 池野陽子
右訴訟代理人弁護士 谷口英志
主文
原判決を破棄する。
本件を京都地方裁判所に差し戻す。
理由
上告理由は別紙記載のとおりである。
上告理由第二点について。
原審は、「昭和三二年一二月五日上告人と被上告人との間で、京都市下京区寺町通松原下る植松町七二七番地の一地上木造瓦葺二階建家屋階下表の店舗部分七坪八勺につき上告人を貸主、被上告人を借主とする賃貸借の仮契約が結ばれ、被上告人が上告人に対し本契約締結日たる同月一三日に支払うべき権利金三五万円の内金として即日二万円を交付したこと、および本件店舗の所有者であつた訴外池田キクを申請人、訴外藤井とし子を被申請人とする仮処分がなされ該店舗の占有が執行吏の占有保管に移されていたこと、ならびに被上告人は右仮処分があるため上告人において賃貸借の目的物件の引渡しができないとなし、これを理由として上告人に対し同月一二日に契約解除の意思表示をなした」ことは当事者間に争いない事実であると判示し、証拠により「右仮契約の名をもつて締結した当事者間の契約は、物件の引渡しと権利金の支弁の履行日を本契約締結日とする賃貸借の予約である」と認定し、「上告人としては被上告人が賃貸借契約の目的を達しうるよう本件店舗に対する仮処分を現実に解放した上引渡すべき債務を負つているのであつて、単に口頭でいつでも解放し得る旨弁明するだけでは上告人がその負担する債務を履行したということはできない」と解し、証拠により、「被上告人は同月一二日に本件店舗が係争の目的となつているので一三日の引渡しは困難と思われるが、もし引渡し得るものなら上告人において同月一七日までに履行するよう、期限までに履行しないときは、さきになした仮契約は当然解除になる。被上告人はいつでも権利金三五万円を支払う用意があるという履行の催告と停止条件付契約の解除の意思表示をする旨記載した甲第二号証の書面を上告人に送達した」すなわち、「本契約の締結につき被上告人において自己の債務の提供即ち権利金三五万円の支払いをなし得る状態にある旨告げて上告人の債務の履行即ち本件店舗の引渡しと共にする本契約の締結を求めた」「しかるに催告期限たる同月一七日に至るも上告人において口頭で本件店舗を引渡し得ると弁明するのみで本件店舗になされた仮処分を現実に解放して引渡していない。そうだとすると当事者間において昭和三二年一二月五日に締結された賃貸借の予約は同月一七日の経過により上告人の債務不履行を原因として解除になつた」と判示していることは判文上明らかである。
民法は賃貸借を諾成契約として規定しているから、当事者の意思表示の合致のみにて賃貸借が成立し、賃貸人が目的物を引き渡して使用収益をさせる義務は賃貸借の効力として生ずる。しかし、当事者が特約をもつて、賃貸人がまず権利金の受領と引換えに目的物の引渡しをなす義務を約し、右権利金の支払いと目的物の引渡しの行為がなされたときは、その日に賃貸借締結の合意をなす旨を約することはもとより自由であつて、右特約は有効である。このように当事者が互に対価的な意義を有する給付をなすべき債務を負担する契約をなしたときは、当事者の双方が同時履行の抗弁権を有するから、右契約を解除するための要件として相手方に対し履行の催告をなすには、自己の債務について履行の提供をなすことが必要であり、右履行の提供は、相手方が予め受領を拒絶している場合か、履行の提供をしても受領を拒絶することが明らかな場合等格別の事情が存しない限り、現実にしなければならないのが原則である。ところが本件の場合目的物件に前記原判決に判示のように仮処分がなされて居り、その使用権をめぐつて上告人と訴外守沢との間に争いがあることを被上告人が予約後知つた事実があるとしても、右仮処分は上告人の先代である池田キクの申請にかかるものであり、その仮処分債務者は上告人ではなく訴外藤井とし子であり、したがつて、特別の事情の認められない本件の場合上告人において容易に右解放手続をなしうることが推認できるのであるから、右仮処分の執行が未だ解放されていないこと、本件目的物の使用権について前記の如く争いがあるとの事実だけでは賃貸人たる上告人の履行が不能であると断定することはできないし、解除の要件として自己の弁済について口頭の提供をもつて足るとなす相手方の事情としては不十分であり、原判文上右の点の審理判断を尽した跡は見あたらない。されば、原審が、被上告人が上告人に対してなした口頭による弁済の提供とともにする履行の催告を、解除の前提要件としてなすべき履行の催告として有効であると判示したのは、この点につき理由不備の違法あるものというべく、所論第二点中これを指摘する論旨は理由がある。
よつて、その余の論点に対する判断を省略し、原判決を破棄し、これを原審に差し戻すべく、民訴第四〇七条一項に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 平峰隆 判事 大江健次郎 古崎慶長)